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レファレンス事例集【地名】

Q「四十物」とは、郷土料理に関した言葉だと思うのだが、その意味を知りたい。
A

「四十物」という言葉から、富山市の町名「四十物町(あいもんちょう)」を思い出す方もいるかもしれない。今回は、言葉の意味と併せて地名の由来も探ってみることにした。
まずは、8,000語を超える語彙を収録した富山県の方言集『日本のまんなか富山弁』(北日本新聞社 2001)をみると、四十物とは「①塩魚・乾魚など、塩で処理した海産物の総称。塩合物。②鮮魚、塩乾物すべての魚。藩政時代、富山城下にあった魚市場周辺の魚屋街を四十物町と呼んだ。」とある。「四十物」とは、料理名ではなく、食品の名前のようだ。
次に日本料理に関わる調理用語や食材、歳時などの用語を収めた『語源・由来日本料理大事典』(ニチブン 2000)をみると、「あいもの」に「相物・間物・合物」の字が当てられているが、その意味は先にあげたものと同じように「①魚の塩漬けにしたものの総称。②鮮魚と干物の中間の状態にある魚のこと。」とあり、その由来は、「①塩を加え合わせる、調合する。②2つの状態にある魚のこと。」とある。
そのほか言葉の辞典を調べてみることにする。『日本国語大辞典』(小学館 1972)では「相物・間物」の字が当てられ、語意は同じく魚の加工品を指し、語源は「①アキナヒモノ(商物)の略か。②生物と乾物との間の物の意か。」とある。
使用地域として「①乾物、塩物類」は新潟県、岡山県、徳島県。「②鮮魚、干魚、塩魚などすべての魚の類をいう。」は長崎県対馬と記載されている。文献として「~あひ物とて、乾きたる魚の入りたる俵を取積で」(太平記・七)を引いており、鎌倉時代からの言葉であることがわかった。
『岩波古語辞典』(岩波書店 1974)には、「あひもの」に「合物・相物・四十物」の字が当てられ、語意は「塩で処理した海産物の総称。」とし「干魚を売り候ふ物をあひものと申し候。あひものとは、商ひ物と云う事かと存じ候」(康(やす)富記(とみき)・文安6年)を引いている。
これらのことから、意味は海産物またはその加工品であり、語源は①魚に塩を加え合わせる②鮮魚と干魚の間の状態③あきないものの3つの説があるようだ。この語源から「合物」「間物」という漢字が当てられていることは理解できるが、では「四十物」という当字はどこからきたのかという疑問が残る。
『富山県の地名』(平凡社 1994)に、その答えとなる記述があった。「西四十物」の項に、「アイモノとは塩魚の総称で、鮮魚と干魚との中間程度の意。これに相物の当字が用いられ、さらに相字を文字遊戯で目木と書き、判じ物(ある意味をそれとなく文字や絵などにして表わし、人に判じ当てさせるようにしたもの)的に四十と表記し、塩魚の種類の多い意をかけあわせたものだろう。」
最後に『おらっちゃらっちゃの富山弁』(北日本新聞 1992)にも、「あいもの」の意味や語源、四十物町について2頁ほどにまとめてあるので紹介しておく。
魚屋の町「四十物町」は、その昔、東西に分かれ交代で魚市を開き、賑やかだったそうだ。しかし、天保2年の大火ののち、魚問屋は弐番町(現在の西町)へ移転したという。西四十物の町名は現在もあるが、東四十物町は中央通りとなっている。

Q婦中町音川地区にある猫坂峠について場所や言い伝えなどを知りたい。
A

 『富山県大百科事典』(富山新聞社 1976)によると、この峠は婦中町の高塚、平等、吉谷からの山道が一致する標高130mの所にあり、関所があった地である。猫坂とは平等と池田の猫がこの峠であいびきをしたという言い伝えから名付けられたそうだ。
また、『婦中町史 通史編』(1996)の[町と村の生活]の章にも同様の記述があり、『北陸の峠』(チューエツ 1999)には“加賀藩と富山藩の境であった峠”として、歴史についてわかりやすくまとめてあり、峠への交通も簡単な地図とともに紹介してある。

Q富山市四方にあるという「栂野(とがの)神社」に行ってみたいので詳しい場所を知りたい。
A

まず「富山県神社誌」(富山県神社庁 1973)を見てみたが、栂野神社という神社はなかった。
「富山県大百科事典」(富山新聞社 1976)や「富山県神社誌」(富山県神社庁 1983)、「四方郷土史話」(布目久三 1982)などを調べると、四方町の町年寄だった栂野彦八が、都賀比古社(栂彦神社)にまつられたこと、その神社はのちに合祀され、四方神社と改称したことがわかった。
質問者の方には、お探しの栂野神社とは四方神社のことではないかとお伝えし、場所をご案内した。

Q手伝町に住んでいたのだが、なぜ「手伝」という名前がついているのかその由来を知りたい。
A

『富山市町名の由来』『城下町富山の町民とくらし』『富山町づくし』『角川日本地名大辞典』などによると、「手伝町」とは江戸期~昭和40年に使われた町名で、舟橋船頭の手伝人が居住していたことからこの名前になったとあります。舟橋に関係して成立した町にはこの他にも「船頭町」「舟橋新町」などがあるようです。